今回は、今日の動物観の形がどのようにして作られてきたかを歴史を辿りながら見ていこうと思う。
人の動物に対する考え方は国や地方、地域により大きく異なり、また時代によっても大きく変化してきた。
歴史を辿る前に世界の風土から人間の性格を分類した「風土」(和辻哲郎著 岩波書店1953年刊)をご紹介しよう。
書では世界の風土を、自然は乾燥し、生物がほとんど存在しない厳しい環境のためそこで暮らす人々は動物をはじめ周囲の自然環境を敵対するものと考える傾向がある「砂漠型」(アフリカ・アラビア)、自然は、穏やかだが豊かではなく、牧草にしても羊などの家畜にしても容易にコントロールができるため人間の支配下に置こうとする「牧場型」(ヨーロッパ)、自然は季節風(モンスーン)によって四季がはっきりとし自然の恵みが豊かな環境で植物が繁茂し動物も繁栄しているため人間は自然に対して受容的な態度をとる傾向があり、季節風がもたらす台風などの自然の猛威により忍従的な面も持ち合わせる「モンスーン型」(東アジア)と3つの類型に分類している。
日本人の動物観は上記分類によればモンスーン型の風土により形成されたものであるとともに西暦538年にインドから伝来した仏教に強く影響を受けた。
仏教の輪廻転生の考え方では命あるものの肉体は滅んでも魂は別の肉体に移り車輪が回るように果てしなく生死を重ねていき、この連続には因果応報の関係により前世の業によって現世に生を受け、現世の業によって来世に生を受ける。仏教では生死を繰り返す世界を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道に分け、人も現世における業と煩悩の結果により来世では地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちることも避けられないので動物と人は共通の魂を持っているとしている。日本の昔話で僧に化けた狸や美女に化けた鶴など動物が人に化ける話が多くあり動物は人と同格とされてきた(「日本人の動物観」(中村偵里著 鳴海社刊)を参照)。
西暦675年に天武天皇が「天武の勅令」で牛・馬・犬・猿・鳥の肉を食べることを禁止して以来、1857(安政4)年の徳川幕府による「牛馬屠殺禁止令」に至るまで動物を殺したり食べたりすることを禁ずる命令、動物を労わることを命じた法律や命令が何度も出された。その中でも有名なのは徳川綱吉が採用した生類憐みの政策だ。この政策は犬愛護中心の政策という見方があるが「生類憐みの令」は一つの法令を指すのではなくその主旨の一連の法や措置なのである。生類とは人・牛・馬をはじめとする動物類を指し、具体的には1687(貞享4)年の捨て子・捨て老人・捨て牛馬を禁じた「生類遺棄禁令」から生類に芸をつけて見世物にするのを禁じた法令、禽獣肉食の抑制、遊びによる殺生禁止に至るまでこの政策は強化されていったのだ。この政策は一部の人々の自由奔放な生活姿勢に節制を求めたものとされている。
ところが明治維新以後の西洋文化の流入により肉食習慣が定着し、日本の伝統的な動物観が大きく変わった。しかし、日本人は農耕民族であったため動物との関係は衣食住すべてに関わり合いが深い狩猟民族であった西洋人ほど濃厚ではなく、また動物虐待の歴史を経験していなかったので動物について西洋人から生み出されたような哲学的な考え方は形成されなかった。
一方、西洋文明の基礎はヘブライ思想とギリシア思想という二つの主要な思想があり、西洋人の動物観はこの二つの思想をもとに形成されてきた。
ヘブライ思想に基づく旧約聖書の「創世記」には神は人に動物を治めさせたという人間支配の動物観。
ギリシアの哲学者アリストテレス(紀元前384-322)の人は理性的な存在であり動物よりも優位にあるという人間優位の動物観。
この二つの動物観が西洋の動物観の基礎となり、さらにこの二つの動物観を融合して西洋文明の中に深く定着させたのがトマス・アクィナス(1224-1274)というキリスト教の神学者でこの主張がローマ・カトリック教会の正式見解となり、20世紀に至るまでキリスト教世界では揺るぎない権威を保っていた。
アリストテレスに次いで人間が動物を利用することを正当化し、さらに動物の地位を徹底的に貶めたのは近代哲学の祖と呼ばれるルネ・デカルト(1596-1650)で動物は自動機械にすぎないという動物機械論だ。
18世紀末、イギリスにこれまでと違った動物も痛みを感じる存在であるという功利主義的動物観を唱えるジェレミー・ベンサム(1748-1832)という哲学者が現れた。これはそれまでの西洋の考え方とは全く異なった動物観でこの考え方が現代の西洋における動物に対する考え方となっている。その後、フランスの神学者・哲学者・医師アルバルト・シュヴァイツァー(1875-1965)がこれまでの西洋的思想の枠を超えて東洋的な慈悲の心に近づいた生きとし生けるものへの倫理の拡大、生命への畏敬の理念を説いた。
このように人の動物に対する考え方はいく人かの哲学者・思想家によって議論され、次第に今日の動物観の形を作ってきた。社会が成熟し、議論が行われるようになって徐々に世論が形成され、社会全体の動きとして動物に対する考え方に変化が見られるようになったのだ。
文・写真:吉川孝治
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